大判例

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最高裁判所大法廷 平成5年(オ)1189号 判決 1999年3月24日

上告人

亡甲野太郎訴訟承継人

甲野花子

外四名

右五名訴訟代理人弁護士

柳沼八郎

上告人

乙川一郎

右訴訟代理人弁護士

大堀有介 斎藤正俊 浅井嗣夫 佐々木広充 関谷信夫

柳沼八郎 関島保雄 八塩弘二 内田雅敏 竹之内明

弊原廣 小林美智子 田代博之 杉山彬 上野勝

中道武美 若松芳也 赤松範夫 浅井正 福井悦子

酒井紳一 島方時夫 武井康年 高橋敬幸 上田國廣

美奈川成章 濱田英敏 鍬田萬喜雄 石神均 角山正

脇山淑子 浜田敏 菅原一郎 津谷裕貴 浅野元広

小笠原寛 松岡泰洪 安田純治 大学一 鵜川隆明

高橋一郎 渡辺和子 平井和夫 岩渕敬 荒木貢

折原俊克 廣田次男 今野忠博 渡邉正之 角田久哉

目黒鷹雄 福西宜孝 橋本登行 宮本多可夫 小畑祐悌

田島勇 瀧田三良 安藤裕規 佐藤克行 安藤ヨイ子

安部洋介 永井修二 橋本保夫 氏家和男 地主康平

村松敦子 杉山茂雅 齋藤拓生 草場裕之 須田唯雄

遠藤憲一 林敏彦 杉野修平 小泉征一郎 田島二三夫

石川善一 原田紀敏 内橋裕和 木村義人 伊神喜弘

笹田参三 大迫唯志 松井健二 太田正志 福島康夫

宮原貞喜 塩田直司 末永睦男 新垣勉 長岐和行

村岡啓一 三原一敬 高野隆 蔵冨恒彦 佐々木斉

片岡正彦 五十嵐二葉 梶山公勇 伯母治之 児玉晃一

佃克彦 鈴木和憲 梅澤幸二郎 萩原猛 采女英幸

森下文雄 小坂井久 松本成輔 竹内浩史 出口崇

杉岡茂 大石和昭 松井仁 後藤尚三 荻原統一

田口光伸 生田康介

被上告人

右代表者法務大臣

陣内孝雄

被上告人

福島県

右代表者知事

佐藤栄作久

右両名指定代理人

山崎潮

外九名

主文

本件上告理由第二点の論旨は理由がない。

理由

上告代理人大堀有介の上告理由第二点について

一  刑訴法三九条三項本文の規定と憲法三四条前段

所論は、要するに、身体の拘束を受けている被疑者と弁護人又は弁護人を選任することができる者の依頼により弁護人となろうとする者(以下「弁護人等」という。)との接見等を検察官、検察事務官又は司法警察職員(以下「捜査機関」という。)が一方的に制限することを認める刑訴法三九条三項本文の規定は、憲法三四条前段に違反するというのである。

1  憲法三四条前段は、「何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。」と定める。この弁護人に依頼する権利は、身体の拘束を受けている被疑者が、拘束の原因となっている嫌疑を晴らしたり、人身の自由を回復するための手段を講じたりするなど自己の自由と権利を守るため弁護人から援助を受けられるようにすることを目的とするものである。したがって、右規定は、単に被疑者が弁護人を選任することを官憲が妨害してはならないというにとどまるものではなく、被疑者に対し、弁護人を選任した上で、弁護人に相談し、その助言を受けるなど弁護人から援助を受ける機会を持つことを実質的に保障しているものと解すべきである。

刑訴法三九条一項が、「身体の拘束を受けている被告人又は被疑者は、弁護人又は弁護人を選任することができる者の依頼により弁護人となろうとする者(弁護士でない者にあつては、第三十一条第二項の許可があった後に限る。)と立会人なくして接見し、又は書類若しくは物の授受をすることができる。」として、被疑者と弁護人等との接見交通権を規定しているのは、憲法三四条の右の趣旨にのっとり、身体の拘束を受けている被疑者が弁護人等と相談し、その助言を受けるなど弁護人等から援助を受ける機会を確保する目的で設けられたものであり、その意味で、刑訴法の右規定は、憲法の保障に由来するものであるということができる(最高裁昭和四九年(オ)第一〇八八号同五三年七月一〇日第一小法廷判決・民集三二巻五号八二〇頁、最高裁昭和五八年(オ)第三七九号、第三八一号平成三年五月一〇日第三小法廷判決・民集四五巻五号九一九頁、最高裁昭和六一年(オ)第八五一号平成三年五月三一日第二小法廷判決・裁判集民事一六三号四七頁参照)。

2  もっとも、憲法は、刑罰権の発動ないし刑罰権発動のための捜査権の行使が国家の権能であることを当然の前提とするものであるから、被疑者と弁護人等との接見交通権が憲法の保障に由来するからといって、これが刑罰権ないし捜査権に絶対的に優先するような性質のものということはできない。そして、捜査権を行使するためには、身体を拘束して被疑者を取り調べる必要が生ずることもあるが、憲法はこのような取調べを否定するものではないから、接見交通権の行使と捜査権の行使との間に合理的な調整を図らなければならない。憲法三四条は、身体の拘束を受けている被疑者に対して弁護人から援助を受ける機会を持つことを保障するという趣旨が実質的に損なわれない限りにおいて、法律に右の調整の規定を設けることを否定するものではないというべきである。

3  ところで、刑訴法三九条は、前記のように一項において接見交通権を規定する一方、三項本文において、「検察官、検察事務官又は司法警察職員(司法警察員及び司法巡査をいう。以下同じ。)は、捜査のため必要があるときは、公訴の提起前に限り、第一項の接見又は授受に関し、その日時、場所及び時間を指定することができる。」と規定し、接見交通権の行使につき捜査機関が制限を加えることを認めている。この規定は、刑訴法において身体の拘束を受けている被疑者を取り調べることが認められていること(一九八条一項)、被疑者の身体の拘束については刑訴法上最大でも二三日間(内乱罪等に当たる事件については二八日間)という厳格な時間的制約があること(二〇三条から二〇五条まで、二〇八条、二〇八条の二参照)などにかんがみ、被疑者の取調べ等の捜査の必要と接見交通権の行使との調整を図る趣旨で置かれたものである。そして、刑訴法三九条三項ただし書は、「但し、その指定は、被疑者が防禦の準備をする権利を不当に制限するようなものであつてはならない。」と規定し、捜査機関のする右の接見等の日時等の指定は飽くまで必要やむを得ない例外的措置であって、被疑者が防御の準備をする権利を不当に制限することは許されない旨を明らかにしている。

このような刑訴法三九条の立法趣旨、内容に照らすと、捜査機関は、弁護人等から被疑者との接見等の申出があったときは、原則としていつでも接見等の機会を与えなければならないのであり、同条三項本文にいう「捜査のため必要があるとき」とは、右接見等を認めると取調べの中断等により捜査に顕著な支障が生ずる場合に限られ、右要件が具備され、接見等の日時等の指定をする場合には、捜査機関は、弁護人等と協議してできる限り速やかな接見等のための日時等を指定し、被疑者が弁護人等と防御の準備をすることができるような措置を採らなければならないものと解すべきである。そして、弁護人等から接見等の申出を受けた時に、捜査機関が現に被疑者を取調べ中である場合や実況見分、検証等に立ち会わせている場合、また、間近い時に右取調べ等をする確実な予定があって、弁護人等の申出に沿った接見等を認めたのでは、右取調べ等が予定どおり開始できなくなるおそれがある場合などは、原則として右にいう取調べの中断等により捜査に顕著な支障が生ずる場合に当たると解すべきである(前掲昭和五三年七月一〇日第一小法廷判決、前掲平成三年五月一〇日第三小法廷判決、前掲平成三年五月三一日第二小法廷判決参照)。

なお、所論は、憲法三八条一項が何人も自己に不利益な供述を強要されない旨を定めていることを根拠に、逮捕、勾留中の被疑者には捜査機関による取調べを受忍する義務はなく、刑訴法一九八条一項ただし書の規定は、それが逮捕、勾留中の被疑者に対し取調べ受忍義務を定めているとすると違憲であって、被疑者が望むならいつでも取調べを中断しなければならないから、被疑者の取調べは接見交通権の行使を制限する理由にはおよそならないという。しかし、身体の拘束を受けている被疑者に取調べのために出頭し、滞留する義務があると解することが、直ちに被疑者からその意思に反して供述することを拒否する自由を奪うことを意味するものでないことは明らかであるから、この点についての所論は、前提を欠き、採用することができない。

4  以上のとおり、刑訴法は、身体の拘束を受けている被疑者を取り調べることを認めているが、被疑者の身体の拘束を最大でも二三日間(又は二八日間)に制限しているのであり、被疑者の取調べ等の捜査の必要と接見交通権の行使との調整を図る必要があるところ、(一) 刑訴法三九条三項本文の予定している接見等の制限は、弁護人等からされた接見等の申出を全面的に拒むことを許すものではなく、単に接見等の日時を弁護人等の申出とは別の日時とするか、接見等の時間を申出より短縮させることができるものにすぎず、同項が接見交通権を制約する程度は低いというべきである。また、前記のとおり、(二) 捜査機関において接見等の指定ができるのは、弁護人等から接見等の申出を受けた時に現に捜査機関において被疑者を取調べ中である場合などのように、接見等を認めると取調べの中断等により捜査に顕著な支障が生ずる場合に限られ、しかも、(三) 右要件を具備する場合には、捜査機関は、弁護人等と協議してできる限り速やかな接見等のための日時等を指定し、被疑者が弁護人等と防御の準備をすることができるような措置を採らなければならないのである。このような点からみれば、刑訴法三九条三項本文の規定は、憲法三四条前段の弁護人依頼権の保障の趣旨を実質的に損なうものではないというべきである。

なお、刑訴法三九条三項本文が被疑者側と対立する関係にある捜査機関に接見等の指定の権限を付与している点も、刑訴法四三〇条一項及び二項が、捜査機関のした三九条三項の処分に不服がある者は、裁判所にその処分の取消し又は変更を請求することができる旨を定め、捜査機関のする接見等の制限に対し、簡易迅速な司法審査の道を開いていることを考慮すると、そのことによって三九条三項本文が違憲であるということはできない。

5  以上のとおりであるから、刑訴法三九条三項本文の規定は、憲法三四条前段に違反するものではない。論旨は採用することができない。

二  刑訴法三九条三項本文の規定と憲法三七条三項

所論は、要するに、憲法三七条三項の規定は、公訴提起後の被告人のみならず、公訴提起前の被疑者も対象に含めているとし、それを前提に、刑訴法三九条三項本文の規定は憲法三七条三項に違反するというのである。

しかし、憲法三七条三項は「刑事被告人」という言葉を用いていること、同条一項及び二項は公訴提起後の被告人の権利について定めていることが明らかであり、憲法三七条は全体として公訴提起後の被告人の権利について規定していると解されることなどからみて、同条三項も公訴提起後の被告人に関する規定であって、これが公訴提起前の被疑者についても適用されるものと解する余地はない。論旨は、独自の見解を前提として違憲をいうものであって、採用することができない。

三  刑訴法三九条三項本文の規定と憲法三八条一項

所論は、要するに、憲法三八条一項は、不利益供述の強要の禁止を実効的に保障するため、身体の拘束を受けている被疑者と弁護人等との接見交通権をも保障していると解されるとし、それを前提に、刑訴法三九条三項本文の規定は、憲法三八条一項に違反するというのである。

しかし、憲法三八条一項の不利益供述の強要の禁止を実効的に保障するためどのような措置が採られるべきかは、基本的には捜査の実状等を踏まえた上での立法政策の問題に帰するものというべきであり、憲法三八条一項の不利益供述の強要の禁止の定めから身体の拘束を受けている被疑者と弁護人等との接見交通権の保障が当然に導き出されるとはいえない。論旨は、独自の見解を前提として違憲をいうものであって、採用することができない。

四  以上のとおりであるから、刑訴法三九条三項本文の規定は、憲法三四条前段、三七条三項、三八条一項に違反するものではないとした原審の判断は正当であり、原判決に所論の違法はなく、本件上告理由第二点の論旨はいずれも理由がない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官山口繁 裁判官園部逸夫 裁判官小野幹雄 裁判官千種秀夫 裁判官尾崎行信 裁判官河合伸一 裁判官遠藤光男 裁判官井嶋一友 裁判官福田博 裁判官藤井正雄 裁判官元原利文 裁判官大出峻郎 裁判官金谷利廣 裁判官北川弘治 裁判官亀山継夫)

上告代理人大堀有介の上告理由

第一点<省略>

第二点

原判決は、刑事訴訟法第三九条三項本文が憲法第三四条、第三七条三項、第三八条一項に違反する無効な規定であるにもかかわらずこれを有効として本件に適用し、もって上告人らの請求を棄却した違法がある。

即ち、

一 身柄を拘束された被疑者の弁護権の内容

憲法三四条にいう「弁護人に依頼する権利」とは、単に弁護人を選任することができるということではなく、弁護人による実質的な援助assistance of counselをうける権利である{法学協会編『注解日本国憲法(上)改訂版』一九五三年・六一六頁、佐藤功『憲法(ポケット注解全書)』一九五五年・二二〇頁、江橋崇『基本法コンメンタール(新版)』一九七七年・一四九頁、杉原泰雄「被告の権利」芦部信喜編『憲法Ⅲ』一九八一年・一四六〜一五三頁、佐藤幸治『注釈日本国憲法(上)』一九八四年・七四〇頁等}。日本国憲法が、弁護人選任届を作成提出することのみ保障し、弁護人に選任された弁護士の弁護活動を保障していないと考えることはとうてい不可能である。

日本国憲法三四条は、身柄を拘束された被疑者が直面している困難な状況を考慮して、この段階における弁護権の保障を特に明文化したものである。従って、憲法が保障している弁護活動の内容は、身柄を拘束された被疑者の実態、そして、その基本的人権にとっての危機的状況を理解することによって明らかにされるのである(前掲、杉原一四七頁は、憲法三四条の趣旨を「適正手続の原理」と「被拘束者の実態」の二点から説明している)。

1 身柄を拘束された被疑者の弁護人の役割

身柄を拘束された被疑者は、外界との交通を遮断され行動の自由を奪われた上、捜査官による取調の圧力にさらされる。肉体的にも精神的にも不安定な状態に陥り、黙秘権を行使して沈黙を保つことも、また、積極的に自己主張することも困難な事態になる。捜査官から暴行を受けたり脅かされたり詐されたりして自白させられる危険もある。取調の結果作成される供述調書に自分の述べた通りの記載がなされるという保障もない。そして、不必要な身柄拘束から解放される手段を講じたり、自己に有利な証拠を収集したり、防禦の準備活動を自ら行うことも不可能であり、結局、公判廷では検察官から提出される有罪証拠に圧倒され、無実であっても有罪判決を受ける可能性すら存する。

身柄を拘束された被疑者の状態は以上のようなものである。そうであるとすれば、「拘束されている被疑者・被告人の不利益を必要最少限に食い止め、かつ捜査官憲と対等の当事者としての地位を彼らに保障するための不可欠の手段」(前掲、杉原一四七頁)である弁護人の役割は自ずと明らかであろう。それは次のようなものである。

① 被疑者に対する行動の自由の制限を必要最少限のものとするため、弁護人が外界とのパイプ役となって家族・職場との連絡、健康状態への配慮など可能なかぎり日常生活に近付けること。

② 違法、不当あるいは不必要な身柄拘束から被疑者を解放すること。

③ 捜査官による取調の圧力に抗して、黙秘権を行使する機会を実質的に保障し、被疑者が供述することを選択する場合、供述が任意に(自由な意思に基づいて)なされることを確保し、十分に自己の主張を展開し得るようにすること。

④ 捜査官が暴行、脅迫、偽計、誘導その他違法行為によって被疑者から供述を得ようとするのを防止し、捜査官が右のような違法行為をしたときは、その証拠を保全すること。

⑤ 公判審理に備えて被疑者の主張を裏付ける証拠を収集、保全し、防禦の準備を整えること。

2 弁護活動の内容

以上の基本的な役割を果たすために、弁護人にはどのような活動が保障されなければならないか。

右の全てに共通する基本的活動であり、かつ、最も基本的で必須の弁護活動は、いうまでもなく、被疑者にアクセスし、彼とコミュニケートすることである。弁護士の仕事は、依頼者と会うことから始まるのである。

(一) 被疑者と秘密交通(接見交通)

憲法三四条が保障する弁護権が、単に弁護人を選任することを妨げられない権利に止どまるのではなく、弁護人による実質的な援助を受ける権利であることは前述したが、そうとすれば弁護人が被疑者と立会人なしに面会する権利、いわゆる接見交通権は憲法三四条の保障の中に当然に内包されていると解される(前掲、杉原一四九頁、佐藤七四一頁など)。のみならず、接見交通は憲法三四条が保障する弁護人の諸活動のうちで最も初歩的で、最も基本的な活動であり、いわば他のすべての弁護活動の土台をなす活動なのである。

自己の依頼人である被疑者と面会し、彼から十分な事情聴取を行わずして、効果的な弁護活動を行うことは全く不可能である。そして、被疑者との間の通信の秘密が確保されないままで、弁護人が被疑者との間に信頼関係を確立し、彼から十分な事情聴取を行うことは困難であり、弁護人と被疑者との間で交換される情報が訴追側につつぬけになっている状態では、弁護人が被疑者のために効果的な防禦活動を行うことはおよそ不可能である。弁護士の依頼人との間の通信の秘匿特権lawyer-client privilegeは弁護権の本質的要素である。

接見交通権は憲法上の権利ではないという見解(河上和雄「接見指定の本質とその適法性」判タ六二〇号・五九頁、古江頼隆「接見交通―検察の立場から」『刑事手続(上)』一九八八年・三一七頁)は、結局のところ、憲法は、被疑者が弁護人を依頼すること(具体的には弁護人選任届の用紙に弁護士と共に署名すること)のみ保障しており、それ以外の活動は何も保障していないというのである。しかし、前述の如く、このような解釈は憲法と憲法制定者の意図を正確に理解していないといわなければならない。日本国憲法は世界的にも外に例をみないほどに詳細な刑事手続に関する規定を定めた。それは過去において捜査機関による人権侵害が多数行われたという反省の上に、そのような事態が繰り返されないことを強く希求してのことであった。その日本国憲法が身柄を拘束された者のために特に規定した「弁護人依頼権」というものが、弁護人の実質的弁護活動はおろか、被疑者と面会することすら予定していない権利であるなどとはとうてい考えられないのである。「弁護人に選任されただけで依頼者に会うこともない弁護人」なるものを憲法制定者が想定し、これを「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であり「過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたもの」と考えていたとは決して思えないのである。

(二) 取調の立会い

被疑者との接見交通が、最も初歩的で基本的な弁護活動であることは右に述べた通りである。しかし、弁護権の実質的内容として憲法が保障する弁護人の活動は、被疑者との接見交通のみに限られるわけではない。やや抽象的に述べるならば、前記の五項目にわたる役割を弁護人が果たすために必要不可欠な諸活動を憲法は保障しているのである。

憲法上保障される弁護活動のうち、接見交通と共に重要なものの一つに被疑者取調の立会いがある(前掲、杉原一五一頁)。

被疑者には黙秘権=自己負罪拒否の特権(憲法三八条一項)privilege against self-incriminationがある。従って、被疑者には捜査官からの出頭要求に応ずる義務もないし、取調室に滞在する義務もないし、また、実況見分や検証に立会うなどして捜査官の証拠収集活動に協力する義務もないのである。いずれの場合においても、捜査官が被疑者を取調たり、検証に立会わせることができるのは、被疑者が特権を任意に放棄して、取調や検証の立会いに応じる場合に限られるという点において間違いは全くない。けれども、身柄拘束下にある被疑者は、既に詳述したように、外界から遮断され肉体的・精神的に不安定な状態で捜査官から取調の圧力を受けることになるのである。被疑者が独力でこの圧力に抗して、黙秘権を行使することは極めて困難である。また、供述を選択するにしても、捜査官の期待や説得に反論して十分に自己主張することも難しい状況にある。このような身柄拘束下の被疑者の実態に照らして、この段階における弁護人の役割として「被疑者の黙秘権行使の機会を実質的に保障すること」「供述が任意になされ、被疑者が十分自己主張し得るようにすること」「捜査官による違法な取調を防止すること」「捜査官が違法な取調をしたときはその証拠を保全すること」等が要請されているのである。

弁護人がこれらの役割を果たすための活動として被疑者との接見交通権を保障するだけでは十分といえないことは明らかであろう。接見室の中で弁護人から黙秘権の存在を教えられ、取調の際は十分自己主張し、不正確な供述調書に対しては訂正を申し立て、捜査官が訂正に応じない場合は署名を拒否するようにアドバイスを受けたとしても、被疑者はその後の取調で不本意な供述をさせられ、意に沿わない調書に署名させられてしまうのである。我々はそのような事態をしばしば経験している。

「……弁護人によって予め与えられた助言でさえ、密室の取調によって容易に打ち敗かされてしまうのである。従って、修正五条の特権を保護するための弁護人の必要性というのは、取調の前に弁護人と相談する権利のみならず、被疑者が望むならば取調の間弁護人を在席させる権利をも包含するのである。

……被疑者が取調に対して供述する途を選んだ場合、弁護人の援助が虚偽の危険性を減殺するのである。弁護士が存在することによって、警察官が自白の強要を行う蓋然性は減るだろうし、それにも拘らず強要が行われたならば弁護人はその事実を法廷で証言することができよう。弁護人の存在は、被疑者が警察に対し、十分正確な供述をし、またその供述が検察官によって公判廷に正しく伝えられることを保障する手だてとなるだろう。……」

(Miranda V. Arizona, 384 U. S. 436, 1966, at 468)

被疑者は供述を拒否して沈黙を保つ権利があるのであるから、弁護人を在席させて供述し得ることは理論的にも当然である。

わが国の実務においては、通常、被疑者の取調に際して弁護人の立会いを認めていないが、犯罪捜査規範一七七条二項は「取調を行うに当たって弁護人その他適当と認められる者を立会わせたときは、その供述調書に立会人の署名押印を求めなければならない」と定めて、取調への弁護人の立会いを予定しているし、現実に被疑者取調に弁護人が立会っている事例も報告されている(犯罪捜査規範二〇四条、少年警察活動要綱九条三号は、少年事件につき、「保護者その他適切と認められる者」の立会いによる取調を規定しており、弁護人が「適切と認められる者」に該当することは勿論である。大阪弁護士協同組合発行『捜査弁護の実務』一五八頁)。

要するに、身柄を拘束された被疑者には、取調や検証立会いの現場に自己の弁護人を在席させる権利がある。そして、それは、憲法三四条が保障する被拘束者の弁護権の本質要素の一つである。

二 国際人権法からみた弁護人依頼権の内容

1 国際人権法上の弁護人の位置付け

国際人権法とは、人権に関する国際条約や国際慣習法、更には国際機関が採択した人権関係の宣言等から構成される人権に関する国際法の総体を指称する。

国際人権法の観点から、わが国の被疑者段階に該る「身柄拘束中の起訴前弁護」を眺めると「逮捕・勾留」と「公判」という区別はあっても、特別に「起訴前弁護」が問題とはされていない。その理由は、理念的に「身柄拘束を受けること」と「刑事裁判の当事者となること」とは別の次元の問題とされており、わが国のように刑事事件の当事者が身柄拘束を受けたままの状態で公判審理に臨むことを当然の前提とはしていないからである(国際人権規約B規約九条三項、ヨーロッパ人権条約五条三項などは、逮捕・勾留の司法的審査と並んで起訴前保釈の権利を認めており、圧倒的大多数が身柄の拘束を解かれた状態で刑事裁判に臨むことを想定している。わが国では全く逆に、起訴事件の七割以上が身柄拘束のまま公判審理に臨む実態がある)。

国際人権法上、「身柄拘禁の問題」は専ら、人身保護請求habeas corpusの考え方に従って、いかに不当な身柄拘束から被拘禁者を解放するかをテーマとした(国際人権規約B規約九条、ヨーロッパ人権条約五条、合衆国憲法修正四条参照)。

他方、「刑事司法の当事者性の問題」は専ら、公正な裁判fair trialの考え方に従って、いかに公平かつ正義に適った裁判を実現するかをテーマとした(国際人権規約B規約一四条、ヨーロッパ人権条約六条、合衆国憲法修正六条参照)。

その結果、弁護人依頼権は異なった二つの理念から、それぞれ独自の意義を与えられて国際人権法上の権利として登場することとなった。即ち、人身保護請求habeas corpusの考え方からは、逮捕・勾留の司法的審査と起訴前保釈の権利が導かれ、また、不当な身柄拘束からの救済を裁判所に訴え出る権利(裁判所へのアクセス権right of recourse to a court)の内容として、被拘禁者に対し、救済手段を実効的に行使するための弁護人依頼権が認知されることになった。他方、公正な裁判fairtrialの考え方からは、武器対等の原則と、無罪推定の原則が導かれ、「刑事上の罪に問われた者」(the accused:個人が国家から公的に刑罰権発動の対象であることを告知されることを国際人権法では「告発」chargeといい、その時期は各国の法制度によって異なるが、日本の法制度の下では「逮捕」がそれに該る。従って「起訴」を区別の基準として「被告人」と訳すのは正確ではない。)の自己防禦権right to defend himself in personの内容として、「刑事上の罪に問われた者」=被疑者に対し、防禦手段を実効的に行使するための弁護人依頼権が認知されることになったのである。

国際人権法は、刑事司法制度の構造がどのようなものであるべきかについては沈黙をしており、各国の選択に委ねているが、公正な裁判の理念から導かれる武器対等の原則の一つの現れとして、国家と対置されることになる個人に対し、自己負罪禁止の特権privi-lege of self-incriminationを与えて、その主体性を確保しようとしている(国際人権規約B規約一四条三項g参照)。その結果、英米諸国や我が国のように捜査手続、公判手続に弾劾構造を採用している国では、捜査機関の取調に被疑者の黙秘権を対置させることによって両者の均衡を図ろうとしている(合衆国憲法修正五条、日本国憲法三八条)。しかし、捜査機関の取調を「身柄拘束下」においても認めることは、身柄拘束それ事態が持っている「強制的要素」を払拭することができない。そこで、身柄拘束中の取調を捜査機関に認める代わりに弁護人の取調立会権を同時に認め、供述の任意性を担保しようとするのである(ミニック対ミシシッピー州事件、アメリカ合衆国最高裁判所一九九〇年一二月三日判決、Minnick V. Mississippi, 591. W. 4037 (1990)は、取調に被疑者が弁護人を要求した場合には、弁護人が同席しないかぎり、取調を開始または再開してはならないと判示した)。ここから、身柄拘束中の被疑者の黙秘権を実効化するための弁護人依頼権(立会権)が認められることになった。

2 国際人権法における弁護人依頼権の新たな展開

身柄拘束中の被疑者の場合、弁護人依頼権としては一つであっても、発生根拠を異にするいくつかの性格を併有していたことになるが、いずれも、身柄拘束からの救済手段、あるいは公正な裁判を実現するための防禦手段(黙秘権行使の実効化もこの範疇に含まれる)として、そこに弁護人による法的権利の行使という積極的行為が前提とされていたことは共通していた。

しかし、一九八八年一二月九日採択された国連総会決議「あらゆる形態の拘禁または収監下にある全ての人々を保護するための原則」(以下「国連被拘禁者保護原則」という)及び一九九〇年九月七日採択された第八回犯罪防止・犯罪者処遇に関する国連会議決議「弁護士の役割に関する基本原則」(以下「基本原則」という)は、従来の「人権を侵害された者の固有権」を前提にそれを「実効化するための手段」として認知されていた弁護人依頼権をより広い視野から一般化することとなった。

即ち、身柄拘束という状態そのものに着目して、身柄拘束された者が外界と遮断されない権利の保障として弁護人制度を位置付けたのである。このことは、逆にいえば、制度的に弁護人の援助が保障されてはじめて被疑者の最も基本的な自由である人身の自由を国家刑罰権によって制約することが許容されるということを意味している。

そうすると、刑事弁護人の役割も狭義の刑事手続上の防禦活動にとどまるのではなく、むしろ、家族・職場との連絡、身柄拘束中の被疑者の健康・精神面に対する配慮など被疑者を可能なかぎり日常生活に近付けるための援助者としての役割こそが根本であり、その保障の上にたってはじめて刑事手続上の防禦活動が遂行されることになる。

このように、起訴前の弁護人依頼権の根拠を外界から遮断されない権利の制度的保障として位置付けることは、従来のhabeas corpusやfair trialの信念に基づく位置付けとの間に、決定的な差をもたらす。それは、後者が常に弁護人による救済手続、防禦手段の行使という積極的な行為を前提としていたのに対し、新しい考え方は、具体的な法的手段の行使ということを前提とせずに、ただ、身柄の拘束を受けている依頼者のために「そこに居る」ことを求めることになるからである。

国際人権法における弁護人依頼権の本質は弁護人に「そこに居てもらう権利」なのであり、それは人身保護請求habeas corpusや「公正な裁判」fair trialの考え方が適用される権利行使の最中であっても、底流をなしているのは勿論のこと、積極的権利行使を前提としなくても、逮捕から拘禁そして公判審理を経て収監に至る刑事手続の全過程において、弁護人に居てもらうことを要請しているのである。

3 国際人権法の弁護人依頼権と日本国憲法との関係

国際人権法上、弁護人依頼権は、

① 身柄を拘束された者にとっての外界から遮断されない権利。

② 不当な身柄拘束からの救済を求める裁判所へのアクセス権を実効化するための権利。

③ 公正な裁判を実現するため、「刑事上の罪に問われた者」の自己防禦権を実効化するための権利。

④ 身柄拘束中の「刑事上の罪に問われた者」の黙秘権を実効化するための権利。

を内容とするものである。

これらを我が国の起訴前弁護にあてはめれば、逮捕によって身柄を拘束された被疑者は右四つの性格を有する国際人権法上の弁護人依頼権の全てを享受する主体であることが明らかである。そして、日本国憲法も右内容の弁護人依頼権を当然に保障していると解することができる。

即ち、

(1) 日本国憲法三四条(抑留・拘禁に対する保障)は、明らかに国連人権B規約九条及びヨーロッパ人権条約五条に対応するものである。従って、我が国では一般的な弁護人依頼権の根拠をこの憲法三四条に求めているが、国際人権法の系譜に照らすならば、本来的には、身柄拘束を前提にした人身保護請求habeas corpusの考え方を背景にしているものと考えられる。

(2) 日本国憲法三七条三項の原文は主体をthe accusedとしている。この主体概念は、国際人権法の解釈として「告発された者」即ち、「刑事上の罪に問われた者」を意味しているから、日本国憲法三七条三項の原文が国際人権規約B規約一四条及びヨーロッパ人権条約六条と対応するものであったことは明らかである。

従って、日本国憲法三七条三項の根底にある基本理念が「公正な裁判」fair trialにあることは疑いない。(日本国の刑事訴訟法に基づく法制度の下では、犯罪の嫌疑を理由として逮捕された場合の身柄の拘束は公判前最大二三日とされ、この間、保釈の制度は認められていない。また、この間の留置場所は名目上は、拘置所の代用である「代用監獄」とされているが、実態は警察の留置場である。しかも、この公判前の逮捕・勾留期間中、捜査機関による訴追のための証拠収集が、被疑者の取調という形態で認められており、その証拠は公判廷において証拠として採用される。そうすると、日本の法制度の下では、「公正な裁判」の理念は逮捕の時点から貫徹されなければならないことになる。換言すれば、日本の法制度の下では「告発」という制度はないが、「刑事上の罪に問われた」という意味の「告発」chargeの時点は逮捕時ということになる。従って、憲法三七条三項は被告人のみならず被疑者の弁護人依頼権の根拠規定となる。)

(3) 日本国憲法三八条一項「不利益な供述の強要禁止」は、国際人権規約B規約一四条三項g及び合衆国憲法修正五条と対応しており、弾劾捜査構造を前提として、自己負罪特権即ち黙秘権を規定したものであることは明らかである。そして、身柄拘束中の取調に対抗して黙秘権を実効化する必要があることは、同条二項が強制、拷問もしくは脅迫による自白または不当に長い拘禁下の自白の証拠能力を否定していることから明瞭である。

(4) こうした、国際人権法との照合を日本国憲法の各条項にみた後で、再度、日本国憲法三四条「抑留・拘禁に対する保障」の規定の仕方をみれば、同条は弁護人依頼権の保障を条件として初めて身柄拘束一般を認めている。これは、今日、国際人権法において、弁護人制度を身柄拘束された者一般に対する、外界から遮断されない権利の保障として位置付けたことと対応するのである。

そうすると、日本国憲法三四条は、国際人権法上の弁護人依頼権の前記内容のうち①及び②の、同三七条三項は③の、同三八条一項は④の各根拠規定として位置付けることができ、同三四条、三七条三項、三八条一項が一体として、身柄拘束を受けた被疑者の弁護人依頼権を保障しているということができる。従って、日本国憲法の解釈として、国際人権法上の弁護人依頼権の保障が導かれるのであって、国際人権法と日本国憲法との間に乖離は存在しない。

三 刑事訴訟法第三九条三項の違憲性

接見交通権は、憲法が保障する被拘束者の弁護権の内容のうち、最も初歩的で基本的な権利である。この権利を「捜査の必要」を理由に捜査官自身が制限するという自体を憲法が容認していないことは、既に述べたところに照らして明らかであろう。刑訴法三九条三項は違憲・無効の規定である。

1 捜査官が弁護人の弁護活動を制約するというのは、憲法が保障する弁護権という概念そのものと矛盾する。

前述のように、身柄を拘束された被疑者の弁護人の役割は、黙秘権を初めとする被疑者の諸権利の保障を実質的に確保し、捜査官の違法行為を防止し、被疑者の防禦権に実体を与えることにある。この目的に奉仕する弁護人の諸活動は、捜査官の捜査活動を制約するものとして憲法上保障されているのである。弁護権は、国家が個人を刑事訴追するに際して遵守しなければならない憲法上の制約なのである。この弁護権を「捜査の必要」によって制限することを認めるのは明らかな論理的矛盾である。

身柄拘束下での取調は、刑事手続全体における被疑者・被告人にとっての重大局面critical stageの一つである。全ての刑事被告人にとって、捜査官による取調の帰趨がその後の公判のなりゆきを大きく左右する。冤罪事件の元被告人たちは、もしも、身柄拘束下での取調に際して黙秘権が実質的に保障され弁護活動が十分であったならば、その後何十年も苦しまずに普通の人生を送ることができたであろう。

捜査官が「捜査の必要」を感じるとき(被疑者を取調べようとするとき、被疑者立会いで実況見分しようとするとき)、そのときこそ被疑者は「弁護の必要」を最も強く感じるのであって、このときに弁護人との接見を制限するのであれば、被拘束者の弁護権を保障する憲法の意味は完全に失われてしまうのである。

2 「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」(日本国憲法三八条一項)。この権利(黙秘権あるいは自己負罪拒否の特権)は、個人の人格の不可侵性に由来する権利であり、個人に対して国家権力が及ぶ範囲を画する原則である。即ち、個人に対して刑罰が課せられることを求める国家は、国家自らの労力によってその正当性を立証すべきであって、当該個人の口から証拠を引き出すことを強制してはならないということである。

被疑者には、捜査官の出頭要請に応じる義務もないし、取調室に滞在する義務もないし、捜査官の行う実況見分や検証に立会う義務もない。これらは右の法理の当然の帰結である。

刑訴法一九八条一項但書を根拠として、逮捕・勾留されている被疑者には、出頭義務及び滞留義務が課せられるという見解(高田卓爾『刑事訴訟法(改訂版)』一九七八年・三一六頁、米澤慶治「被疑者の取調」判タ五三七号・六一頁など)は、全ての被疑者が取調室の中でも、自宅におけると同様に、捜査官の「説得」や「期待」に抗して沈黙を保ち、あるいは自由に自己主張できるという前提に立たないかぎり、被疑者の黙秘権を否定する見解に等しい。右のような被疑者は、取調室という環境に十分なれ親しんでいる職業的犯罪者か、超人的に意思が頑固な確信犯ぐらいであろう。普通の市民を前提とするかぎり、出頭義務や滞留義務を課すことは供述義務を課すのと等しい。刑訴法一九八条一項但書は取調受任義務を課したものではないと考えること(平野龍一『刑事訴訟法』一九八五年・一〇六頁)が、その文理上不可能だとすれば(前掲、米澤六三頁)、この規定は憲法違反と断ぜられなければならない(熊本典道「被疑者の取調」『刑事手続(上)』一九八八年・一八七頁)。

いずれにしても、被疑者には捜査官による取調に応ずる義務もないし、実況見分に立会う義務もない。それは憲法上の特権であり、「侵すことのできない永久の権利」である。そうであるとすれば、取調や実況見分への立会いを理由として、被疑者と弁護人の接見交通を制限することが許されないことはあまりにも当然である。

3 いわゆる「公共の福祉」論の内容をなすのは、おそらく、刑事司法における「実体的真実の発見」「国家刑罰権の適正な実現」ということになるのであろう。しかし、既に指摘したように、身柄を拘束された被疑者の弁護権を制約することは実体的真実の発見にとって必ずしも有効な方法ではないし、むしろ、多くの冤罪事件はこれが誤判原因の一つであることを如実に示しているのである。そもそも、国家刑罰意思によって制約を受ける「黙秘権」や「弁護権」なるものは、黙秘権でも弁護権でもないのである。

憲法三一条以下の規定は、憲法が一般的に保障する生命・自由に対する「公共の福祉」による内在的制約を憲法自体が具体化したものにほかならないのであって、それらの諸規定について「公共福祉」の名において、法律で例外を設けることは許されないのである(杉原泰雄『基本的人権と刑事手続』一九八〇年・一〇一〜一〇二頁)。

四 結論

今日の国際人権法の考え方、及びB規約を取り込んだ我が国憲法の解釈に従えば、弁護人依頼権とは弁護人にそこに居てもらう権利を本質とするのであるから、取調中であるからこそ被疑者は弁護人と接見し、立会ってもらい助言を受ける権利を有しているのである。取調を理由として接見拒否されることは、国際人権法の常識からは理解不可能なのである。ましてや、今回の原判決のように取調予定が接見指定の要件とされることは、あり得べからざる事態といわなければならない。

今回の原判決の定立した一般論が憲法三四条、三七条三項、三八条一項に基づく弁護人依頼権、そしてその本質的内容をなす接見交通権に違反することはあまりにも明らかである。

第三点<省略>

第四点

原判決は刑事訴訟法第三九条三項本文を憲法第三四条に矛盾抵触しないよう合憲的に限定して解釈すべきであるのにこれを怠り違憲的解釈を行ない、もって上告人らの請求を棄却した違法がある。

一 即ち、原判決は三五丁表後ろ三行において「法は、弁護人等に対し原則として自由な接見交通権を認めたが、起訴前においては、刑事訴訟法第三九条三項は、弁護人等の有する接見交通権と捜査機関が有する捜査権との調和を図る趣旨で、弁護人が防御の準備をする権利を不当に制限しない限度で、捜査機関に対してその調整の役割を付与したものである」とする。

二1 しかし、前述した如く日本国憲法は、第三一条以下一〇ヶ条及ぶ刑事諸手続に関する原則規定を置き、憲法第三四条前段において被拘束者の弁護人依頼権、同第三七条三項において刑事被告人の弁護人依頼権を保障している。

これら憲法上の刑事諸手続に関する諸規定の構造は、一方で国家刑罰権の発動のために人権の中でも最も基本的な人身の自由が制約される場合を承認しつつ、他方で司法官憲による令状主義の事前抑制、捜査から公判に至る刑事訴追過程における適正手続きの保証、無罪であった場合の現状回復措置としての刑事保証を制度化することによって、不当に人身の自由が侵害されないよう配慮しているということができる。

しかし、令状主義といった司法的抑制を経てもなお無罪が推定される被疑者・被告人の身柄の拘束という基本的人権の侵害は重大であるので、憲法は被拘束時からの弁護人依頼権を制度として保障し、被拘束者が弁護人を通じて日常生活にアクセスできる途を開き、もって被身柄拘束者が有罪であることが確定した場合にはじめて純粋に国家刑罰権発動の対象となることを意図している。

換言すれば、憲法上最も基本的な人権である人身の自由が国家刑罰権の発動という公共の福祉の前に制約を許されるのは、弁護人制度による日常生活へのアクセスが全面的に可能であるという制度保障が存在するからに他ならないのである。

右の如き弁護人制度の憲法条の位置付けに照らして憲法第三四条前段の弁護人依頼権の意義を明らかにするならば、憲法第三四条前段の弁護人依頼権は、単に形式的に弁護人を選任する権利にとどまらず、身柄を拘束された者がその自由や権利を防御する上で最も必要な時に実質的に法律専門家の援助を受けられる権利を保障したものといえる(樋口陽一外「注釈日本憲法」上巻・青林書院新社)。

2 こうした重要な任務を背負った弁護人の諸活動を効果的になすには、弁護人と被拘束者とが自由に、かつ立会人なしに接見し、者の授受をなし得ることが大前提であり、接見交通の自由が保障されない限り、刑事訴訟法上の被疑者・弁護人の権利行使はもちろんのこと、身柄拘束を担保する弁護人活動の全てが実効性を期し得ない結果となる。

この意味において、接見交通の自由の大原則は憲法第三四条前段の弁護人依頼権の実質的内容をなしており、従って刑事訴訟法第三九条一項に定める被疑者らの接見交通権は、憲法第三四条前段の保障する憲法上の権利ということになる。

最高裁判所第一小法廷昭和五三年七月一〇日判決が「この弁護人等との接見交通権は、身体を拘束された被疑者が弁護人の援助を受けることができるための刑事上手続上最も重要な基本的権利に属するものであるとともに、弁護人からいえばその固有権の最も重要なものの一つであることはいうまでもない。」とし、弁護人等の接見交通権を「憲法の保障に由来する」と表現しているのは、接見交通権が憲法第三四条前段の実質的内容をなす憲法上の権利であることを認めた趣旨と理解できよう。

3 これに対し、接見交通権が憲法上の権利であることを否定し、刑事訴訟法上の権利にすぎないとした上で、捜査の実施は国家刑罰権の実現の前提となるもので憲法上、当然その基本的構造をなすものとして認められているのであるから、接見交通権といえども捜査権に優越することはできず、実体的真実発見のため、刑事訴訟法のレベルで、接見交通権と捜査権とは調和が図られなければならないとする議論(河上和雄「検察実務からみた接見交通」法律時報第五四巻三号一六頁以下)がある。原判決の前記三五丁表の後ろ三行目以下も、裁判所としては極めて異例のこの調和論に立っている。

しかし、刑事諸手続に関する憲法の規定は、前述の如く国家刑罰権及びその実現の前提である捜査の実施と基本的人権の中でも最も重要な人身の自由の保障とを比較衡量した上で、国家刑罰権の実現という公共の福祉による制約のあることを一方で明示し、他方で、国家刑罰権の前提となる捜査の実施が弁護人依頼権、黙秘権といった刑事基本権と適正手続の保障によって限定されることを明らかにしたのであるから、いわば、憲法レベルで“衡量済み”の絶対的保障である。

このことは刑事訴訟法上の解釈からも当然に導かれる結論である。即ち、刑事訴訟法第八〇条・二〇七条一項は弁護人以外の者と被疑者との接見を認め、例外的に捜査の都合上、同第八一条によって裁判所が接見禁止の処分をすることが認められている。しかし、裁判所でさえも弁護人と被疑者との接見を禁止することはできない(同条)。これは、弁護人と被疑者間の接見交通権は右の如く絶対的保障であることを前提としているからである。

従って、憲法第三四条前段の弁護人依頼権は、常に捜査の実施(国家刑罰権の前提たる広義の捜査権)を制約する原理として位置付けられるのであって、その価値衡量を経た理念は、弁護人依頼権の具体的内容をなす権利の全てに等しく妥当するのである。接見交通の場面において、被疑者は捜査の客体であると同時に防御の主体であるという二面性を持っているため、捜査機関側と弁護側との被疑者面接の時間的調整を図る必要が生ずることがあり得るが、この場合も、接見交通権と捜査権(刑事訴訟法レベルの取調権、強制捜査権などの狭義の捜査権)との調和が求められているのではなく、理念的にも法的にも常に接見交通権が狭義の捜査権よりも優位に立っているのである。

原判決は、接見交通権が憲法上の権利であり、憲法レベルでの価値衡量の結果捜査権よりも優位に立つという基本的認識を全く欠いているため、刑事訴訟法第三九条三項の法意を「捜査機関に対してその調整の役割を付与したもの」と説くのであるが、接見交通権の右憲法上の位置付けを全く理解できずに違憲の判断を示したもので破棄されるべきである。

三1 右に詳述した通り、接見交通権は、憲法上既に“衡量済み”の絶対的保障であって、本来これに対する制約は許されない性質のものである(実際、国際法的には何等制限を受けないものとして運用されている)。

ところが、刑事訴訟法第三九条は、一項で憲法の絶対的保障を受け、何等制約のない接見交通権を保障する一方、その三項において「捜査のため必要があるときは」という極めて漠然とした要件の下に、絶対的であるべき接見交通権に対する制約を認めている。

従って、第二点に述べた如く、刑事訴訟法第三九条三項は違憲無効ということになる。

ただ、法律はできる限り合意的に解釈運用すべきものであり、この観点からまず三項を合憲的に考える場合の接見指定の要件を厳密に検討する必要がある。

2 「捜査のため必要があるとき」の意味

接見指定の積極要件

(一) 第三九条三項本文が接見指定をなし得るための要件として掲げるのは「捜査のため必要があるとき」という、いわゆる「捜査の必要性」のみである。しかし、これでは内容が極めて漠然としており、このまま適用したのでは結局接見交通権に対する無制約な(限界のない)制約原理となり、結局は接見交通権を否定するものとなって違憲となる。接見指定制度が合憲性を保持するためにはまずもって「捜査の必要性」の意味的内容が一義的に明確にされなければならない。

(二) そして「捜査の必要性」の意味内容を明らかにするには、なぜこのようなものが本来憲法上の絶対的保障を受けている接見交通権の制約原理となり得るのかを考えなければならない。

接見の場面においては、被疑者は捜査の客体であると同時に防御の主体であるという二面性を有している。そのために捜査機関側と弁護側とが被疑者の身柄につき衝突する場面が考えられ、この場合には被疑者接見のための時間的調整が必要となってくる。

即ち、捜査機関側と弁護側において被疑者の身柄を取り合うような形になった場合(現に衝突する場合)のことを考えた規定と解すならば、あながち不合理とまでいう必要はない。前記最高裁判例(昭和五三年七月一〇日)も、かような見地から接見指定の要件「捜査のための必要性」を合目的に解し、「現に被疑者を取調中であるとか、実況見分、検証等に立ち会わせる必要がある等捜査の中断による支障が顕著な場合」として、これを一義的に明らかになるよう努力しているのである。

(三) ただ、ここで注意しなければならないのは、捜査機関による被疑者の取調中についてである。

前述した如く、捜査と接見の時間的調整の必要が生じるといっても、接見交通権が憲法上の保障を受けた優越的位置にあるものであることにかわりはない。かつ、また、被疑者には憲法上黙秘権が保障されており(第三八条)、被疑者の取調は、常にこの黙秘権侵害の疑いをもってみられる。その疑いは、自由な接見交通権の実現が担保されてはじめて晴らされる。従って、捜査機関による被疑者の取調については、その法的位置付けからしても、その行為の性質からしても、原則として、接見の制約原理たりえないというべきであろう。例外的には、弁護人と被疑者がともに取調の続行に同意したような場合のみ接見交通権の侵害とならないものと解される。

(四) 以上からすれば、第三九条三項本文にいう「捜査のため必要があるとき」とは、

① 捜査機関が被疑者の身柄を現に使用している場合で

② 接見を直ちに実現するために捜査を中断しなければならないとするならばその支障が顕著な場合

ということになる。

このように解するならば「捜査の必要性」はほぼ一義的に明らかになり、違憲評価を免れ得ることになる。そして、これらは接見指定の際には常に存在していなければならないので、「接見指定の積極的要件」と呼ぶことにする。

尚、最高裁平成三年五月一〇日第三小法廷判決は、「捜査の必要性」の解釈として被疑者の「取調」のみならず「取調の予定」すらも含むものとしているが、この「取調の予定」なるものは捜査側が独自に設定するものにすぎず、従って、客観的、一義的に明らかな制約基準でなく、このようなものも認めることは違法であり、判例としての意味はない。

3 第三九条三項「但書」の意味

接見指定の消極要件

(一) 第三九条三項は、自ら接見交通権に対する刑事訴訟法上の制約を付するということについて違憲評価のおそれを抱いている。これゆえに但書を設け、これによって接見交通権の絶対的保障と矛盾牴触しないよう細心の注意を払っているのである。

即ち、いかに「捜査の必要性」を一義的に明白に解したとしても、なお本来無制約であるべき接見交通権に対する法律上の制限であって、前述した如く依然、違憲と評価される余地は残っている。そこで、但書によって、本文が、接見交通権の本質を否定するものではないこと、そのような運用は許されないものであることを、わざわざ明確にしたのである。

(二) 但書は、

「接見指定は、被疑者が防御の準備をする権利を不当に制限するようなものであってはならない。」

と規定している。

ここに、「防御の準備をする権利」「不当に制限するようなもの」ということの意味内容も必ずしも明確ではない。

しかし、本文の場合と異なり、この場合には違憲無効の問題は生じない。けだし、接見交通権自体が本来的に無制約的な絶対的な保障なのであるから、これを担保する但書もあらゆる接見実現の可能性を包摂できるような概念であって良いからである。従って、強いてこの内容を明らかにする必要はないともいえる。

ただ、大体の類形を示せば次のようになる。

(1) 第一回目の接見申出の場合

(2) 被疑者が弁護人との接見を希望する場合

(3) 捜査機関や弁護人等の都合で長期に終わって、接見の機会が保障されていなかった場合

(4) その他、特に家族の伝言等緊急に接見する必要がある場合

(三) 右のような場合には、たとえ接見指定の積極要件が存在する場合であっても直ちに捜査を中断して接見の機会を保障しなければ、違法なものとなるのである。従って、これらは接見指定をする際には存在してはならない条件であるので「接見指定の消極要件」と呼ぶことにする。

4 最高裁判例による接見指定運用上の合法化要件

前述した最高裁杉山判決は、右2、3に述べた接見指定の積極・消極要件の他に、接見指定運用上合法とされるための要件を挙げている。

それによれば、指定積極要件が存在し、同消極要件が存在しない場合において接見指定権を行使しようとする際には、

『弁護人等と協議してできる限り速やかな接見のための日時等を指定し、被疑者が防御のために弁護人等と打ち合わせることのできるような措置』をとるべきものとしている(甲第六一号証)。

そして、接見指定が問題となった以後の下級審の判例においては、大体においてこの運用上の合法化要件を指摘しており(甲第六三号証・・一〇五頁・三・1・(一)、甲第六四号証・・九七頁・三・1・(一)、甲第六五号証・・四八頁・4・(一)、甲第六六号証・・二四五頁・三・1等)、判例法として確立された要件といえる。これも接見指定制度が合憲性を保つための不可欠の要件である。

四 以上のように極めて厳格に要件吟味がなされてはじめて、刑事訴訟法第三九条三項は合憲性を有し得るものに過ぎないにもかかわらず、これまで判例が採用したことのないような刑事訴訟法第三九条三項本文の解釈を用い(というよりも、被上告人国側の主張をそのまま掲げたのみで)、上告人らの請求を棄却した原判決が違法であるのみならず、裁判所の憲法の番人としての立場を忘れ去った、良心欠如を露呈したものである。

第五〜八点<省略>

以上、原判決には明白かつ重大な誤りが累積し、とうてい破棄を免れないものである。

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